平和だね、なんて口にしてみたけれど、やっぱりなんとなく嘘くさい。
良い天気だからちょっと庭に出ておいでよと声をかけたのにも関わらず、三成は襖をほんの少しだけ開けただけで依然として文机に向かったままで。
ぴしっと伸ばされた背筋と、崩されることなく重ねられた爪先、そして見とれてしまうほどに端正なあの横顔。
難しい顔をして手に持った本を眺めては時折筆をとって何かを紙に書きつけている。
そんな三成を横目で見ながら私は縁側に寝転びながら、庭にやってきた鳩やら雀やらをぼんやり眺めていた。
春の日差しにあたためられた縁側は、ゆるりゆるりと眠気を誘う。
どうせしばらくは三成も机と睨めっこなのだろうし、このまま寝ても構わないだろう。
ぴちち、と名前も知らない鳥が花の落ちた梅の枝で鳴くのを聞きながら、柔らかな泥沼に沈むようにして私は眠りの底へと落ちていった。







ざあぁ、幾千幾万もの木々が擦れ合う音が幻聴のように木霊する。
視界一面に広がるのは、まばゆいばかりに白く光る桜の花々。
時折吹く風に桜はまるで生き物のように枝を揺らし、雪と見まごうほどの花片を散らしていた。
その向こうに、見慣れた姿が現れる。


「みつ、なり…?」


私に気づいているのかいないのか、どこを見るでもなく遠い目をして、三成は静かに立っていた。
吹きだまった花弁の山から身を起こし彼の元に駆け寄ろうとするも、降り積もった柔らかな薄桃に足を取られてその場から一歩も踏み出せない。
必死になって引き抜こうとするも、もがけばもがくほど足は沈み、今や膝近くまで私の足は桜の沼にのみ込まれていた。
三成、三成と彼の名前を呼ぶけれど、さんざめく枝々にかき消され私の声は届かない。


「待って、行かないで!」


こちらに背中を向けて徐々に遠ざかってゆく三成に必死になって手を伸ばす。
その時、ひと際強い風が吹き、桜吹雪で世界が染まった。
舞い乱れる花弁の隙間から、こちらを振り返る三成と目が合った。
しかし彼は私のほうへ向かってくることはなく、そのまま再び私に背を向け彼方へと歩き出す。


「三成!三成!」


とうとう首元まで迫ってきた花弁をかき分けながら声を張り上げるも、もはや三成の姿は雪とも桜ともつかない輝きの渦の中へとたち消えていた。
口を開くたびになだれこんでくる桜花に喉を奪われ、私はゆっくりと瞼をおろす。












「おい、…おいと言っている」

「あれ……夢か」

「これほど不気味な形相で己の名前を呼ばれて気にならん人間などいない」

「うなされてた?」

「煩いほどにな」


寝言で三成の名前を呼んでたなんて、なんだかきまりが悪くて黙りこむ私を三成は訝しげに覗きこむ。
あの、お顔が近いです。
たぶんきっと、無意識なんだろうけど。
長い睫毛と澄んだ瞳に思わず私は赤面してしまう。



「気味の悪い顔をするな」

「う、うるさい!」

「貴様のせいで気が削がれた。茶でも汲んでこい」

「お茶は三成のおはこでしょー」

の分際で口応えするというのか」

「はいはいわかりました」

「ふん、やるのならば無駄口叩かず初めから素直にやればいいものを」

「だぁー!もう!」

「わかったのならさっさと汲んでこい」


鋭い視線で射抜かれて、私はしぶしぶ準備のために腰を上げた。








こぼさぬように抜き足差し足、長い廊下をそろそろ歩く。
対岸の廊下でぶんぶんと手を振っている左近に視線だけで「急いでるから!」と合図を送り三成の部屋に急ぐ。
いかんせん彼は茶にうるさいのだ。
最後の曲がり角を曲がり、いよいよ彼の部屋というところ。
しかしそこで私が目にした光景は、草履をはき庭に出ていた三成の姿だった。
庭の隅に咲いた桜の老木の枝垂れに手を添え、見上げるようにほの白く咲き誇った桜を仰ぐ三成。
はらはらと舞い落ちる花弁に包まれ、雲の切れ間から伸びる天界の梯子に浮かび上がる彼の姿が、ふいに桜と重なった。
私は目的も忘れ、ただ阿呆のように立ち尽くす。
三成。
そう呼ぼうと口を開きかけたのと、三成がこちらを振り返ったのと、そして一陣の風が私たちの間に吹いたのと、すべてが同時に起こったのか、それともほんのわずかの差があったのか。
たちまち桜吹雪にかき消される彼の姿に、私は思わず手にしていた盆を取り落とす。
何もかもがコマ送りのようにゆっくりと動き、私たちは時間に取り残されていた。
盆と湯のみが床板を叩く鈍い音がしたのは、実際よりもずっとずっと後のような気がした。


「何をしている。本当に貴様は、とんだ愚図…、」


忌々しい表情を浮かべながらこちらに向かってきた三成に、私は沓脱石にある草履をはくこともせず縁側から飛び降り駆け寄った。


「なんの真似だ」

「三成」

「離せ、離れろ、今すぐにだ」

「三成!」


どうしてこんなにこの人は。
私を引きはがそうとする三成の身体に、全身の力を込めて腕を回す。
けれど、それでも。
花弁とともに消えてしまうのではなく、彼自身がはじけるように花弁となって散ってしまうような気がして、回した腕が小さく震えた。


「おい…どうした」

「なんにも」

「何もないなら即刻その腕を解け」

「いやだ」




熱でもあるのか。
そう言って無理矢理に私の体を剥がして不審そうに尋ねる三成に、私は背を向ける。


「桜、綺麗だね」

「………」

「好きだな、桜」

「貴様のような阿呆でも、桜の美しさぐらいは解せるのか」

「失礼ね」


幾重にも重なった薄桃から透ける柔らかな陽光に目を細め、隣に立つ光成の着物の裾をそっと掴む。


「もうしばらくは持つかなぁ」

「どうだろうな」

「今度みんなでお花見しようよ」

「馬鹿馬鹿しい」

「そう言わずにさ」


ね、と言って見上げた三成の鼻の頭に花弁が一片。
きまりが悪そうにそれをつまむ彼。
裾をつかんだ手を、こっそり彼の手に移す。
大きくて形の綺麗な三成の手は、あたたかかった。
次第に強くなってゆく風が、白い幕となり私たちを包む。
雪のように白い世界の中、私と三成は二人ぼっちで立っていた。






「三成さまーぁうあぁぁぁぁ?!」


勢いよく廊下を走る音に次いで、何かに滑って左近が床に叩きつけられる鈍い音が辺りに響き渡り我に返る。



「なに?」

、貴様がこぼした茶で左近が転んだのだ」

「……あ、」



痛い!なんスかこれー!と縁側に突っ伏したままの左近が顔だけを上げてこちらを向いていた。
ごめん、と言って左近に駆け寄ろうとしする私の手を、一瞬三成が繋ぎとめたような気がして振り返る。
けれどその目はもう私には向けられてはいなかった。


「あー!三成様、なんか鼻の下伸びてません?」


左近が嬉々として発した言葉にもう一度私は三成を見遣るも、既に彼方で三成が左近の口に落ちた湯呑を叩きこんでいるところだった。
ひらひらと舞う桜を、私は手のひらで捕まえ二人の元へ駆け寄った。



20140413