凛々しい。
単純に俺はその時そう思った。酷く子供めいた純粋さで。もうもうと立ち上る蒸気の中から徐々に彼女の影が現れ、次第とはっきりしていく輪郭。倒れ伏した巨人の背中の上に背筋を伸ばして立つの姿。足を肩幅に開き、下ろされた両手には温かそうな血の滴る刃が二本それぞれに握られていた。俯き加減に伏せられた横顔には髪がかかり表情はよく見えないが、恐らくその瞳には何の光も宿ってはいないのだろう。
自分の耳が遠くのほうから聞こえてくる地響きを捕えると同時に、はゆっくりと顔を上げ片方の刃身を抜き払い捨てる。地面に突き刺さったそれは太陽の光を浴びて一瞬きらりと白く光った。地平線に現れる巨人をその双眼に見据え、彼女はいまだ燻っている巨人の死骸を蹴り二、三歩助走をつけるとアンカーを射出し軽やかに空を舞った。
その姿は人類最強(決して驕っているわけではない)と言われている俺をしても息をのむ美しさがあった。








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強い日差しがちりちりと肌を焼いていた。門を出た時は肌寒いほどだったというのに平原を過ぎ木立の中程まで来た頃にはじっとりと汗ばみ、我慢しきれずシャツの腕を肘までまくりあげていた。今日の成果は今のところ5頭、それも小さな5メートル級のみ。まだまだいける、いつものようにそう思った。根拠なんて何にもない、けれど空になった胸の中を満たしてくれるのは削いだうなじから雨あられのように溢れる巨人の真っ赤な血潮だけだった。生きるために人が水を飲むように私は巨人の血を浴びた。汚れも匂いも不愉快な粘つきさえも厭わずに、ただ一心にその生温かい赤を身体に受ける。
綺麗好きのリヴァイがどうして私を彼の班に置くのか私にはよく理解できなかった。そもそも私がリヴァイの直属の配下に置かれていること自体が腹立たしくてならないというのに。実績から見れば分隊長であってもおかしくはない。実際討伐数に関して言えばそこらの分隊長なんて足元にも及ばないはずなのに。
とはいっても私のような若輩者が兵を上手く統率できるとは思わないし、何より人の上に立って指揮するよりも誰かのもとで好き勝手に巨人を斬り殺すほうが私の性分には合っている。
どうどうと馬の群れが蹄を地面を蹴る音が響く。その合間合間に聞こえてくる悲鳴、断末魔、地鳴りその他もろもろ。その全てを無視して私は地面を駆け空中に身を投げる。マントの翻るバサバサという音や耳元で切る風音だけがやたらはっきりと聞こえてくる。態勢を整えるために半身を回転させ空を仰げば、この葉の隙間から無数の光が十字を切って輝いていた。

何分ほどたっただろうか、先程まであんなにも晴れ渡っていたというのに、今や辺りは乳色の霧に一面包まれていた。この霧では信号弾も機能しないはず、恐らく撤退の令が出るのは時間の問題だろう。そう思うや否や北北西の方向から奇行種の出現を告げる黒色の信号が打ち上がる。剣のグリップを握りなおし、信号が上がったほうにつま先を向け地面を蹴ろうとしたその時だった。






「やめておけ」

「兵長」

「この視界の悪さだ。交戦は得策じゃねぇ」

「…そんなの、関係ない。放っておけば恐らく被害の増大は否めないわ」

、命令だ」

「好きね、その言葉」

「馬鹿が、おちょくってんなよ」






突如背後から現れたリヴァイに制され踏みとどまる。この男、何かにつけて私が巨人に向かうのを阻止してくるのだから腹立たしいことこの上ない。索敵陣系が巨人との交戦を極力避けるためのものであるということはエルヴィン直々に聞いてはいるけれど、目の前の獲物をみすみす逃すような真似はしたくなかった。






「そんな目ぇしても無駄だ。早く馬を呼び戻せ」

「どうして」

「どうしてもこうしてもあるか。じきに撤退だ、むざむざ危険な奇行種に向かっていくことはない」

「だから、」




真正面から睨みつけ、勢い荒く言い募った私の喉元に、鈍く光る刃が付きつけられる。




「もう一度だけ言う、命令だ」

「……」

「ここで俺に殺されたくなければ従え」

「……わかった」






しぶしぶ従う私に舌打ちをしてリヴァイは背を向けた。その時だった。大きな木の陰から突然巨人が現れ猛然とこちらめがけて走り寄ってくる。距離にして20メートルほど、何ということはない。背後のリヴァイには何も告げず私は走り出す。間髪いれずにリヴァイも私の後を追い地面を蹴る。近くの木の幹に向けアンカーを射出しようとしたものの、思ったよりも巨人のスピードが速く間に合いそうもない。瞬時に思考を切り替え身体を右にひねって巨人の脛に狙いを定める。乾いたガス音とともに手ごたえを感じ、トリガーを微調整して一気にその巨体の足元を目掛ける。間近に感じる巨人の熱に目を眇め靴底でその皮膚を蹴り、もう一度身体を空中に持って行き項に向かってアンカーを放つ。どたどたと走る巨人の醜いことといったらない。腐臭さえ交じるその蒸気を蹴散らすように空を切り、そして項を一気に削ぎ落した。
じっとりと重たい霧に交じって霧雨さえも降り始めていた。それに交じるようにして大粒の血飛沫が噴きだし辺りを赤く染める。土砂降りの深紅を体中に浴び、私は小さく息を吐きだした。隣に降り立つリヴァイを無視して顔を打つ生温かい液体の感触を感じる。鈍い音とともに巨人の倒れ伏す振動を感じ、ゆっくりと目を開ける。隣に視線を向ければ静かに怒りを燃やすリヴァイと目が合った。





「おい」

「なに」

「何でお前はいつもそうやって勝手な行動をとる」

「勝手なって。今のはやらなきゃ完全にこっちがやられてたじゃない」

「だとしてもまず上官の指示を仰ぐのが筋ってもんだろうが」

「筋?それあなたが言う言葉?」

「……減らず口叩くんじゃねぇ、殺すぞ」

「はぁ?やれるもんならやってみなさいよ」






腹立たしさのあまりキッと睨みつけたけれど、そこには先程の怒りも消えたいつもの無表情なリヴァイがいるだけだった。音もなく降る霧雨が私の浴びた血を、ピンク色に薄めながら流し去ってゆく。拳を握りしめる私に、彼は胸元のスカーフを抜き取り突きだしてくる。





「なによ」

「拭け」

「いい、このままで帰るから」

「いいから、拭け」

「いらない!」

「どうして、お前はいつもそうなんだ」

「……」

「俺が何をいくら言ったって聞く耳持ちやしねぇ」

「そんな義理、ないし」

「……そうかよ」

「うん」

「だったら俺も好きなようにさせてもらう」




いったい何をするつもりなのだ、と身構えた私の腕をリヴァイが掴む。雨に打たれ、その手のひらはずいぶんと冷たくなっていた。思いもよらない行動に一瞬ひるんだ私の頭の上にパサリとかけられる白いスカーフ。





「いらないって、言ってるのに」

「お前は、昔の俺に似ている」

「何それ、」

「確かにお前は強い、それは俺も認める。ただ、お前は……」

「……何だって言いたいわけ」




そう問うたけれど、しばらくの沈黙を経てもリヴァイは口を開かなかった。答えを言う代わりに彼は私の頬についた巨人の肉片を親指の腹で拭い去り身を翻す。





「戻るぞ」




そう言って戻ってきた愛馬にひらりと跨り、リヴァイはこちらを振り返ることもせず隊列へと戻って行った。
雨はますます勢いを増し、しとどに私の体を濡らす。火照った芯だけを残して皮膚は冷たく冷え切っていた。たった一か所、先程リヴァイが触れた右頬を除いては。悔しさを紛らわせるようにして私はすり寄る愛馬の手綱を引き寄せ、勢いよく飛び乗った。










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の姿はいつだって悲しみと絶望を纏っていた。負の感情だけが彼女を支配し動かす原動力となっている、俺はそう確信していた。俺は彼女を哀れに思う。自分のことは棚に上げているにしても。そして同時に愛おしいとも思う。極限までに研ぎ澄まされた感覚がを包む瞬間、まるで彼女は獣のようにすっくと地面を踏みしめる。まるで気高き獣のごとく。風に舞いたなびくマントに浮かぶ翼は、まさに彼女にはえた翼そのものだった。
誰にも何物にも奪わせない、どうか俺だけの気高き獣であってくれと俺はただひたすらに希(こいねが)う。



20130919