「ハンジさんあのですねー」

「なんだい、

「エルヴィン団長ってあんまり浮いた噂とか聞かないですよねー」

「ああ、だってあいつはさ、ほら、リヴァイとアレだし」

「え?」

「いやいや嘘だけどさ」

「はいまぁ知ってますけど」

「なになにーちゃんはエルヴィンのこれが気になるのかなー?」

にやにやと邪な顔でハンジさんはピンとその小指を突きたてる。いやぁーもそんな年頃かー参ったなぁーうあちぃ!一人騒々しく紅茶の入ったマグカップをハンジさんがひっくり返すや否や、部屋の扉が勢いよく開けられとびきり不機嫌そうな顔をしたリヴァイが入ってきた。

「おい、うるせぇぞ」

「やあリヴァイ、今日も一日元気でいこう!」

「あの…ハンジさんもうお昼過ぎです」

「…うるせぇ」

これ以上は不機嫌になりようがない顔をさらに歪めてリヴァイがぼそぼそと呟く。なんだってこいつはこんなにも仏頂面を顔面にいつも貼り付けているのだろう。

「つーかな、てめぇいい加減俺を呼び捨てにするのやめろ」

「いやいや今更すぎでしょ」

まぁ確かに私のほうがリヴァイより幾らかは(いや大分?)年下ではあるけれど、ある程度悪ぶっていた昔からの仲なのだから、今更やれ敬えだの呼び捨てにするなだのと言われたところで、あーそれは失敬リヴァイくん、となるだけなのであって今回ももちろん例には洩れなかった。

「そんなことよりリヴァイは聞いたことないの?エルヴィン団長のあんな話やこんな話」

「ねぇよそんなもん」

「あははー即答」

「はぁー」

やだ、ちょっと、マジじゃないのさ。ハンジさんは茶化すように口笛をピューピュー鳴らし、リヴァイは何の興味もなさそうに窓の外をぼんやりと眺めていた。
いつからだっただろう、エルヴィン団長に身の丈以上の恋心を抱くようになったのは。決して彼への恋心から調査兵団に入ったわけではない。月日が経つにつれて近づいてくるその大きな背中にあこがれ、もっと近づきたいと思った。ただそれだけだった。指揮を執る凛々しい顔つきや考え事をするときの真剣なまなざし、何よりも時折見せるとびきり優しげな笑み。あれは本当に罪だ。ずるいと思う。少し腰をかがめて(何しろ団長は背が高い)「先程の判断はとてもよかったな」だなんて言われた時にはもう、体中の血管という血管が全開になって頭が痛くなったほどだった。

「おい、ニヤニヤしてんじゃねーぞ。気色悪ぃ」

「いったー!」

おもむろに飛んできたリヴァイのデコピンで現実に引き戻される。辿った記憶はまだ胸の中でほくほくと暖かい。
あの眼差しを向けてもらえるのなら、信頼を勝ち取るためなら、私はこの命なんて惜しくもないと本気で思っている。つまり私が刃を手に取る理由は(当初の動機は違えど)単純に団長のためなのだ。心臓を捧げるのは民でもなければ王でもない。団長ただひとり、それだけでいい。我ながら不順ではあるとは思うけれど、結果としてそれが人類の為になるのであるから良しとしたい。

「そういや言い忘れていたが、、てめぇのことエルヴィンが呼んでたぞ」

「え?!聞いてないよ、それいつの話?!」

「30分くらい前」

「それあんたが部屋入ってきてすぐに言うべきことでしょ!ていうかどう考えてもあんたそれ言うためにここ来たんでしょ!」

「わりぃな忘れてた」

「信じらんない!」

呼んでもすぐに来ない無能で失礼な部下だと思われたらどう責任とってくれるのよこのチビチビ刈上げ野郎!叫びたいのを懸命にこらえて私は急いで部屋を後にした。




「やだなーリヴァイ、わざとなくせに」

「うるせぇつってんだよクソメガネが」

「切ないねー」

「黙れ」

そんな会話がされていることなんて、露とも知らずに。




長い廊下を駆け抜け執務室にたどりつく。唯でさえ重厚なこの扉、この奥にあのエルヴィン団長がいるのかと思うと、扉を開ける指はいつだって緊張気味に震えてしまう。ひんやりとした真鍮の取っ手が火照った手のひらに気持ちいい。三度ノックをし声をかければ、あの低く柔らかい声に入室を促された。

、遅かったな」

「す、すみませんでした」

「いや、いいんだよ。責めているわけではないんだ。君は呼んだら大概真っ先にやってくるからね」

恥ずかしさと申し訳なさで消えてなくなりたい気持ちでいっぱいだった。
ところで。団長が切り出す。

「二つほど君にお願い、というか聞きたいことがあってね」

「はい、何なりと」

そうか、では。と、何を言われるのかとどぎまぎする私に向かって団長は静かに口を開いた。

「一つ目は、次の壁外調査では私の補佐となる班の指揮をとってもらいたい」

「…いいのですか、私なんかが」

「勿論。私は君の能力を、君が思っている以上に高く評価しているつもりだよ」

何ということなのだろう。感動のあまりめまいがする。私が、私が団長の補佐班の指揮を。また少し追いかける背中が近くなる。嬉しさを一しきり噛み締め視線を上げると、ガタンと団長がデスクから立ち上がりこちらへと向かってきた。

「そして二つ目なのだが」

「は、はい」

狭くなる間合いに若干たじろぎつつ答える。「何でしょうか」強い西日が、彼の表情を窺わせない。

「最近君の様子がおかしい、そう思うのだが私の気のせいだろうか。どうだい?」

「え…あの、おかしいとは」

「たとえば」

私と話すときにあまり目を合わさなくなったりだとか。たとえば、不自然に私を避けたりだとか。たとえば。それ以上は何も耳に入ってこなかった。一呼吸ごとに近づいてくる団長の絶対的な存在感と、ずるい笑顔に私は完全に思考回路を焼き切られてしまっていた。こんな、これではまるで。首筋にうっすらとかいた汗に気がついた時には団長はもう目と鼻の先に立っていた。

「だんちょ、あの、わたし」



「はい」

これ以上言葉を口にしたら、胸の中で踊り狂う心臓が口から飛び出してしまいそうだった。嫌がおうにも火照る頬と上ずる声はもはや自分でもどうしようもできなかった。夕暮れ前の濃密な空気の立ち込めるこの部屋の酸素はどこに行ってしまったのか。私は死にかけのタヌキのように口を薄く開けて浅い呼吸を繰り返すことしかできずにいた。

「きみはもしかして、私のことが好きなのか?」

背中を滑って私の腰にそっとまわされた無骨な手。何だっけ、あれ、私、ここに何しに来たんだっけ。私って誰だっけ。団長って、こんなにも意地悪に笑う人だっけ。あら、あらら。猛烈にめまいがする。いっその事倒れてしまいたかった。こんな状況なのに焦っているのは私だけで。大人の余裕を身に纏い至って平静に私の身体に触れているこの人に、悲しみにも似た焦燥(それも極めて理不尽な)を感じた。腰に添えられた手が離れてしまったら、膝から崩れ落ちてしまいそうだった。

「なんで、そんなこと」

「部下のことを把握しておくのも私の役目、そうは思わないか」

試すような、挑むようなその眼差し。その二つの瞳は西日の作り出す陰りのせいだろうか、深く揺れる青を湛えていた。その青から、逃げることはできない。静かに、沈んでいくことしか私にはできない。私はもう、つかまってしまったのだから。

「ご存じだったんですか」

「わからないとでも思ったのかい。わかりやすいのだよ、君は素直だからね」

それは唐突の出来事だった。あまりにも瞬間的過ぎて、私は訳がわからなくなった。そして自分が今、エルヴィン団長に抱きすくめられているというこの非現実的な現実を受け入れる頃、私の目からはぽろりと涙がこぼれた。

「すまない、少し急ぎすぎたかな」

「あの、団長、これって、あの」

「幸いだったのは私が自分の感情を取り繕うのが上手いことに加えて、君が予想以上に鈍感だったことだな」

くつくつと笑いながら団長は私の頭を軽くたたく。こんなことってあるのだろうか。感情を取り繕う?今まで彼と接してきた中で私に対して特別な何かを抱いているような素振りなんて一度たりともなかったはずだ。けれど、団長は全部知っていて、それで。

「エルヴィン団長、私頭が爆発しそうです」

「これしきで爆発してもらっては困るのだがな」

不敵に口角を上げた団長に、もうどうにでもなればいいと私は思った。そうだ、私は最初から全てを団長に委ねていたではないか。蕩けそうな脳みそで、私はかろうじてその結論にたどりついた。











「あーあ、リヴァイよかったのー行かせちゃって」

「何がだよ」

「とぼけちゃってー」

「黙れ削がれてぇのか」

「まぁまぁ、今夜はとことん付き合うからさ」

「クソメガネが」












20130803