まっさらに洗濯され糊のきいたシーツは、昨晩の名残よろしくいくらか柔らかくなりしっとりと肌にまとわりつく。
血のにおい、飛び散る肉、揺れる大地に飛び交う怒号、そして耳を覆いたくなるような断末魔。昨日のことだというにも拘らず、記憶はすでに白く霞がかり始めていた。
けだるい体を起して見やる隣には、何の憂いも帯びずにすやすやと眠るの姿。紅のさすふっくらとした唇からこぼれる吐息さえ掬ってやりたいと思う。

「いかないで」

いつだったか一度だけ彼女にそう言われたことがある。彼女がその言葉を言うまいと努力していたのは知っていた。けれどそれは仕方のないことであり、受け入れねばならないことだった。むろん彼女自身が彼以上にそう思っていることは明らかであった。
その言葉が口からするりと抜け出してしまったときの彼女の表情。取り返しのつかない過ちを犯してしまったとでもいうような、絶望の色濃いあの表情。
恐らく、とエルヴィンは考える。恐らく彼女は私が命を落としかねない(落とすほうがむしろ当たり前であるような)場に赴く現実から目をそらしていたいのだろう。

朝日が眩しい。
彼女の項にはえた産毛がちりちりと透明に輝く。なんて儚く美しい光景なのだろうか。

ぴくり、と瞼が動いたかと思えばまつ毛がわずかに開く。
どうか、どうかまだ起きないでほしい。エルヴィンは心の中でそう祈る。血なまぐさい自分が唯一清くあれるたった一つの居場所。何者でもないただ一人の男として。


「エルヴィン」

「起きたのか、まだもう少し眠っているといい」


むくりと上半身を起こすの肩をそっと抱いて、エルヴィンは自分の胸へと横たえる。陶器のような、小さな肩。


「どうしたの」

なんだか泣きそうな顔してる。
が心配そうに彼の顔を覗き込む。まっすぐな瞳で。
泣きそう?とんでもない、彼はそう思う。いや、泣きたいのかもしれない。立場や重圧、責任を負い、己を見失うことは罪悪である。強く思えば思うほど涙は枯れ、無意味なものであるように感じたからだ。けれど。このまなざしに見つめられると忘れていたものが胸の内を押し上げる。本当は、むせび泣きたかったのかもしれない。


「いや、なんでもない」


両手で肩を抱きしめて、二人は再びシーツの海へと沈みこむ。


「もう少し、」


眠ろう。
今日は久々の休みなのだから。



20130728